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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)2286号 判決

原告 上原和子

被告 国

代理人 澤田英雄 西元忠志 ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し、二九一万三〇六〇円及びこれに対する昭和五五年四月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言。

二  被告

(一)  主文第一、二項同旨

(二)  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  偽造文書による登記申請の受理

(一) 原告は、別紙物件目録記載の各土地(以下「本件各土地」ないし「本件(一)、(二)の土地」という。)を所有している。

(二) 住田安秀は、昭和五三年一二月一四日原告の意思に基づかずして、司法書士橋本順子を代理人とし、いずれも偽造にかかる原告の印鑑登録証明書(以下「本件印鑑証明書」という。)、同司法書士に対する原告名義の委任状(以下「本件委任状」という。)を添付した登記申請書により、本件各土地について、大阪法務局江戸堀出張所(以下「江戸堀出張所」という。)に対し、自己を登記名義人とする根抵当権設定仮登記及び停止条件付賃借権設定仮登記の各登記を一括して申請し、右申請が受理された結果、本件(一)の土地につき、同出張所昭和五三年一二月一四日受付第三八七九八号根抵当権設定仮登記、第三八八〇〇号停止条件付賃借設定仮登記、本件(二)の土地につき、同出張所同日受付第三八七九九号根抵当権設定仮登記、第三八八〇〇号賃借権設定仮登記の各登記(以下「本件各仮登記」という。)がなされた。

2  責任原因(登記官の過失)

本件各仮登記申請書に添付された本件委任状及び本件印鑑証明書は、いずれも偽造にかかる原告印及び大阪市大正区長印を各押捺することにより作成された偽造文書であり、本件各仮登記申請は却下すべきものであつたにもかかわらず、江戸堀出張所登記官は、本件委任状及び本件印鑑証明書がいずれも偽造にかかるものであることを過失によつて看過し、本件各仮登記申請に基づいて、登記簿に本件各登記を記入したものであるから、被告は、国の公権力の行使に当る公務員の過失により原告に損害を与えたものであつて、国賠法一条により原告の損害を賠償する責任がある。

(一) 本件各仮登記が登記簿に記入されるに先立ち、原告は、昭和五三年一二月一九日、警視庁板橋警察署勤務の警察官弓削幸保より「大阪で原告所有の不動産が無断で処分されている疑いがあるので、至急調査されたい。」旨の連絡を受けたので、翌二〇日、原告の長女岡本真佐子に江戸堀出張所で本件各土地の登記簿謄本の交付申請を行わせ調査に当らせたところ、原告が何ら登記申請をした事実がないのに、係官から「第三者が登記申請をしているため、謄本は交付できない。」旨告げられた。そこで、岡本は、右係官に対し、右登記申請は偽造文書によるものであるので、登記記入を行わないで欲しい旨泣いて懇請した。更に、原告は、同日午後二時頃、原告方を訪れた弓削に対し、岡本を通じて本件各物件について右のとおり事件が発生している状況を報告したところ、弓削は、江戸堀出張所登記官に架電し、偽造文書を利用した犯行が多発しており、右登記申請も同一手段によるものであること等を説明のうえ、書類の真偽を調査し、登記記入を行わないよう申入れた。

ところが、江戸堀出張所登記官は、右申入れを無視して、何らの調査を尽さないまま、その後、本件仮登記を登記簿に記入した。

(二) 本件各仮登記申請においては、前記のとおり原告の子や信頼できる公務員等から右登記申請が偽造文書によるものであり、犯罪の嫌疑がある旨の申出を受けているのであるから、このような場合、登記官において添付書類である本件印鑑証明書、委任状の真偽を判定するに当つて、書類上形式的によく審査するのは勿論、そればかりでなく、大正区所在の不動産についてその専属管轄先である江戸堀出張所に申請された他の登記申請書に添付の、本件印鑑証明書と同じく大正区長作成にかかる印鑑登録証明書と対照するか、登記義務者である原告に再度印鑑登録証明書の提出を求めて対照し、あるいは大正区役所に本件印鑑証明書の発行の有無を照会し、もしくは原告に氏名の自署を求めて本件委任状の筆跡と対照するとか、原告の印鑑の提出を求めるとか、関係者の出頭を促がすなど、更に再度本件委任状の真偽を調査し、右調査が完了するまでは登記記入を留保するべき義務がある。しかも、登記官は、刑事訴訟法二三九条二項に規定するとおり国民の権利、利益を守るため犯罪告発義務を負つているのであるから、その職務に関し右のように犯罪の嫌疑がある旨の申出を受けたような場合、右告発義務を尽くすためにも、なおさら右のとおりの調査をして犯罪の発見に努め、右調査が完了するまでは登記記入を留保し、もつて原告が犯罪によつて被る損害を未然に防ぐべき義務がある。

そして、登記官において、前記注意義務を尽くし、江戸堀出張所における他の登記申請書に添付された大正区長作成の印鑑登録証明書と対照するか、原告に印鑑登録証明書の提出を促しこれと対照していたならば、日付印の字体、活字の大きさが異ること、証明番号が著るしく相違し、不整合であつて、間隔にも差のあること、朱肉の色が異ること等の事実によつて、本件印鑑証明書が偽造にかかるものであることが容易に判明しえたのは勿論、大正区役所に照会したならば、昭和五三年一一月一三日付(本件印鑑証明書の発行日付)で証〇三一八四号(同発行番号)の原告の印鑑登録証明書が交付されておらず、右同様本件印鑑証明書が偽造にかかるものであることを明白に知り得たはずであり、また、本件委任状についても、原告の印鑑を提出させ、あるいは原告に住所、氏名を自署させ、本件委任状の印影及び字体と対照すれば、これが偽造にかかることを容易に発見し得たものである。

しかるに、登記官は、警察官らから前記申出を受けながら、前記注意義務を尽さず、岡本に対しては単に午後四時まで待つので橋本司法書士に申入れる旨言つたにとどまり、本件各仮登記申請書の添付書類である本件委任状及び本件印鑑証明書が偽造にかかるものであることを看過し、右申請を受理し本件各仮登記記入をなしたものである。

3  損害

原告は、大阪法務局江戸堀出張所登記官が前記過失によつて本件各仮登記を完了したことにより、次のとおり合計三六一万三〇六〇円の損害を被つた。

(一) 弁護士費用 合計二〇〇万円

原告は、本件各仮登記の抹消登記手続をするため、登記名義人住田に対し、本件各仮登記上の権利の行使及び処分禁止の仮処分申請(大阪地方裁判所昭和五四年(ヨ)第一四五号事件)をなし、仮処分決定を得たうえ、本件各仮登記の抹消登記手続を求める根抵当権設定仮登記等抹消登記手続請求訴訟(同裁判所昭和五四年(ワ)第一八七七号事件)を提起し、昭和五四年九月五日原告勝訴の第一審判決を得たが、同判決に対し住田から控訴(大阪高等裁判所昭和五四年(ネ)第一五五二号事件)が提起され、控訴審係属中控訴の取下により、原告勝訴の原審判決が確定した。

原告は、右訴訟の提起、控訴審における応訴を原告訴訟代理人たる弁護士谷口茂高、同千本忠一に依頼し、第一審着手金として五〇万円、控訴審着手金として一〇〇万円を支払うことを約した。

(二) 訴提起等に要した印紙税等 合計五万四三〇〇円

原告は、前記仮処分申請、訴提起に当り、(1)仮処分申請印紙税として五〇〇円、(2)切手代として一八〇〇円、(3)訴提起印紙税として四万七九〇〇円、(4)切手代として四一〇〇円の支出を余儀なくされた。

(三) 仮処分申請手続費用 合計三万円

原告は、前記訴提起前に自ら前記仮処分申請を行い、少くとも三万円の支出を余儀なくされた。

(四) 仮処分決定に基づく登録免許税等 合計一七万八七六〇円

原告は、前記仮処分決定に基づき、(1)本件各仮登記上の権利の処分禁止の仮処分の登録免許税として一五万五七〇〇円、(2)本件各仮登記の抹消登記手続の登録免許税として四七〇〇円、(3)右登記手続費用として一万八三六〇円の支出を余儀なくされた。

(五) その他の雑費 合計三五万円

(1) 原告は、昭和五四年一月一九日鳥野宗一から、前記仮処分決定の保証金一五〇万円を利息年一割の約束で借り受けたので、昭和五五年二月一五日右金員を返済するまでの間の利息一年分一五万円の支出を余儀なくされた。

(2) 原告は、本件の関係者や証拠が東京、大阪に散在していたので、本件各仮登記完了の前後を通じ証拠収集、実情調査及び内容証明郵便の発信等を前記鳥野に依頼し、その費用として少なくとも二〇万円の支出を余儀なくされた。

(六) 慰籍料 一〇〇万円

原告は、本件各土地の一部を売却して借入金を弁済すべく計画していたところ、本件各仮登記がなされたためこれが不能となり多額の金利負担を強いられたほか、約一年間以上財産を脅かされたうえ訴訟係属を余儀なくされ、社会的にも著しく信用を失墜するに至り、しかも、登記名義人住田からの請求に耐えかねて昭和五五年二月五日一〇〇万円を同人に支払つた。

右の事情からすると、原告の被つた精神的苦痛に対する慰籍料は少くとも三〇〇万円を下らない。

4  結論

よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づき損害賠償として損害額合計三六一万三〇六〇円のうち二九一万三〇六〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年四月八日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

1  請求の原因第1項(一)、(二)の事実は認める。

2  請求の原因第2項冒頭主張は争う。

同項(一)の事実のうち、昭和五三年一二月二〇日岡本が江戸堀出張所で本件各土地の謄本申請をしたのに対し、同出張所職員が登記申請中である旨説明したこと、岡本が本件各仮登記の不受理の申出をしたこと、同日弓削が同出張所登記官に架電したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同項(二)の主張は争う。

3  請求の原因第3項冒頭の主張は争う。

同項(一)の事実は知らない。

同項(二)の(1)、(2)、(3)の事実は認める、(4)の事実のうち、三八一〇円については認めるが、残余の金員については原告が還付を受けている。

同項(三)の事実は知らない。

同項(四)の(1)の事実は認める、(2)の事実のうち、四〇〇〇円については認める、(3)の事実は知らない。

同項(五)の(1)、(2)の事実は知らない。

同項(六)の事実は知らない。

4  請求の原因第4項は争う。

三  被告の主張

1  責任原因について

(一) 本件各仮登記申請は、登記権利者を住田、登記義務者を原告とし、橋本司法書士を代理人としてなされており、仮に一方の申請人から申請撤回の申入があつたとしても、それによつて取下を認めるべき事案でなかつた。そこで、江戸堀出張所の職員は、岡本からの不受理の申出に対し、申請代理人の氏名を明らかにして、同代理人に事実を確認し申請を取下げられたい旨説明したところ、岡本はこれを納得して帰つた。同出張所登記官は、右の報告に対し暫時登記記入を見合わすよう適切な指示をし、担当職員が岡本に与えた好意的助言が効を奏するに必要かつ十分な時間的余裕を与えたにもかかわらず、原告は、右時間内に右助言を参考に適切な措置を取らなかつたものである。

江戸堀出張所登記官は、昭和五三年一二月二〇日弓削から架電を受けたが、当時発信者が真実警察官であるか否かを確認する術もなく、しかも、架電の内容が本件各仮登記申請の申請人の住所、氏名の教示方と謄本下付願方のため明日伺いたいというもので、来庁を得なければ要領を得ないものであつたから、右登記官が右架電について特に留意しなかつたのも至極当然のことである。

そして、登記官は、昭和五三年一二月二一日、江戸堀出張所に来庁した弓削警察官の説明によつて、始めて本件登記申請書添付の印鑑証明書、委任状が偽造されたものであることを知つたが、右来庁に先立ち、本件登記申請書に基づいて登記簿に本件各仮登記の記入をすませていたものである。

(二) 登記官は、登記申請の形式的適法性の審査に当つては、その職務上知り得た知識、経験から判断して、当該登記申請書に添付された委任状、印鑑証明書等の書類が一見して偽造にかかるものと判別できる程度に明白であれば、右登記申請を却下すべきであるが、右書類が精密、精緻に偽造されており、登記官に通常要求される程度の注意義務をもつてしては右偽造を発見できないような場合にまで却下の義務を負つているものではない。また、印鑑登録証明書の証明公印についても、もとより法務局には、全国の市区町村長の真正な証明公印の印影を集録した資料の備付けがないので、これと対照する術がなく、専ら日常職務上知り得た知識、経験により調査判定するほかはなく、登記官の調査義務も右の範囲に限定される。

本件印鑑証明書が偽造であることは、昭和五三年一二月二一日江戸堀出張所に来庁した弓削警察官の説明によつてようやく判明したものであり、原告の指摘する本件印鑑証明書の発行番号の不整合性、日付印の字体の相違等も、仮に真実の印鑑登録証明書が提出されたとしても直ちに判明し得るものではなく、通常要求される登記官の注意義務をもつてしては到底判明し得ないものである。本件の場合、一方が偽造にかかるものであることを既定の前提事実として、知能犯捜査に十二分の経験を有する警察官の説明と精査の結果によつて辛うじて判明したにすぎない。

2  損害について

登記官の本件各仮登記の記入と原告主張の損害との間には相当因果関係がない。

第三当事者の提出、援用した証拠 <略>

理由

一  偽造文書による登記申請の受理

請求の原因第1項の(一)、(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二  登記官の過失の有無

1  <証拠略>を総合すると、次のとおり認めることができる。<証拠略>の各証言中これに反する部分を採用しない。

(一)  本件登記申請書に添付された原告の委任状及び印鑑証明書は、浅尾鑛太郎らが昭和五三年一一月頃大阪市大正区長作成にかかる真正な原告の印鑑登録証明書のコピーを利用して偽造したものである。その偽造方法は、先ず右コピーの「上原」、「大阪市大正区長印戸籍登録課専用」との文言のある原告印及び大正区長印の各印影をトレースのうえ、そのネガフイルムを作成し、更に製判機で右文言を刻した各偽造印を作成準備したうえ、本件委任状<証拠略>については市販の委任状用紙の委任者欄に原告の住所・氏名を冒書し、その名下に右偽造にかかる原告印を押捺して偽造したものであり、また、本件印鑑証明書<証拠略>については、右コピーの発行番号、発行年月日及び大正区長印の印影を各塗沫し、更にこれをコピーしたうえその発行番号欄に「〇三一八四五」、発行年月日欄に「昭和53年11月13日」と各ゴム印を押し、大阪市大正区長名下に右偽造にかかる大正区長印を押捺して偽造したものである。そして、右偽造の結果、本件委任状に押捺された原告印の印影が本件印鑑証明書の原告印の印影(この印影は、本件印鑑証明書の偽造の際塗沫されていないので、真正な原告の印鑑登録証明書の原告印の印影と同一であり、また、右二度のコピーにもかかわらず格別不鮮明にもなつていない。)と、本件印鑑証明書の大正区長印の印影も同区長作成にかかる真正な印鑑登録証明書の同区長印の印影と殆んど寸分違わないものであつて、本件委任状、印鑑証明書とも精巧に偽造されている。もつとも、本件印鑑証明書<証拠略>と大正区長作成にかかる印鑑登録証明書<証拠略>を対照すると、大正区長印の印影の印肉、発行日付印の字体、大きさが多少相違しているほか、本件印鑑証明書の発行番号の各数字の間隔が多少不整いで、本件印鑑証明書の発行日付である昭和五三年一一月一三日に発行された真正な大正区長作成の印鑑登録証明書の発行番号とは相違している。

なお、本件各仮登記申請書には登記原因を証する書面の添付はなく、申請書副本が添付されているので、原告の住所、氏名の筆跡については他にこれと対照するものがなかつた。

(二)  一方、本件登記申請書が江戸堀出張所に提出されてから間もない昭和五三年一二月一八日頃、警視庁板橋署勤務の警察官弓削は、丸善商事株式会社から、澤田三郎に原告の夫上原喜蔵所有にかかる静岡県伊東市宇佐美所在の建物を担保にするとして、偽造の登記済権利証を見せられ、金員を騙取されたとの告訴を受けたので、これを捜査することとし、翌一九日夜、同署警察官を通じ原告に架電し、右事件の事情聴取のため来阪する、ついては大阪で原告所有の不動産が無断で処分されていないか調査されたい旨連絡した。

右連絡を受けた原告は、早速翌二〇日午前中原告の長女岡本に登記済権利証を持参させ、江戸堀出張所で本件各土地の謄本交付申請をさせ調査に当らせたところ(岡本が右謄本交付申請をしたことは当事者間に争いがない。)、前記のとおり昭和五三年一二月一四日付で本件各仮登記申請がなされ登記手続中であつたので、同出張所職員は、右の旨説明のうえ謄本の交付はできない旨告げた(同出張所職員が登記手続中である旨説明したことは当事者間に争いがない。)。そこで、岡本は、原告において何らの登記申請をしておらず、また、右のように原告の夫の建物が無断で処分されそうになつたことを説明し、登記記入しないよう強く求めた(岡本が登記申請不受理の申出をしたことは当事者間に争いがない。)。これに対し、同出張所職員は、本件各仮登記申請が橋本司法書士を代理人として申請されているので、同司法書士に事実確認のうえ申請を取下げるよう忠告する一方、同日午後四時頃まで登記記入を見合わす旨伝えた。なお、岡本は、右交渉の途中、橋本司法書士事務所に赴いたが、同司法書士は不在であつた。

弓削警察官が右二〇日午後一時頃他の警察官と事情聴取のため原告方を訪れたところ、岡本から本件各土地についても原告に無断で登記申請がなされているので、江戸堀出張所に赴き登記記入を阻止して欲しい旨求められたので、同警察官は、同日午後三時頃同出張所に架電し梅田春雄登記官に対し、本件各仮登記申請の申請人の住所、氏名を聞いたうえ、右のとおり事件が発生しているので登記記入を控えて欲しい。明日二一日同出張所に赴く旨連絡をした(弓削警察官が右登記官に架電したことは当事者間に争いがない。)。

(三)  梅田登記官は、職員から岡本の申出についての報告や、弓削警察官からの右架電を受けていたので、暫らく登記記入を見合わせ本件各仮登記申請取下等を待つていたが、結局これがなく、電話の相手が警察官であるか否か確認する術もなく、また受付後日時も経過していたので、同日中には本件各仮登記の記入を完了した。

2  ところで、登記官は、登記申請の形式的適法性を審査しなければならないが、その審査に当たつては、その職務上の知識、経験に基づき添付書類、登記簿、印影などの相互対照などによつて添付書類の真否を形式的に判定すれば足りるというべきであるところ、登記官において右方法によりいわば書面審理を尽した場合、添付書類が偽造にかかることを容易に発見できるときには登記申請を却下すべき注意義務がある。

これを本件についてみると、本件委任状はそれ自体を検査してもこれを偽造と看破し得ないものであるし、本件印鑑証明書についても、前記認定のとおり、大正区長の印影の色具合、発行日付の字体、大きさが多少相違し、発行番号の間隙が多少不整で、真正な番号とは相違するといつても、精緻巧妙な偽造であつて、いずれも一見して不審の念を起こさせる程極端に通常のものと異なる状態のものとは到底認められない。たとえ、大正区所在の不動産の登記申請について管轄権をもつ江戸堀出張所の登記官として、大正区内に住所を有する者を登記義務者とし、同区長作成にかかる印鑑登録証明書を添付した登記申請書を審査する例が多いとしても、大正区長印については格別、その発行日付印の字体、大きさ、朱肉の色具合、発行日付と発行番号の対応関係等についてまで逐一これを記憶しておくことを要求することは無理というべきである。したがつて、江戸堀出張所登記官が通常の注意をもつて、本件各仮登記申請書及び添付書類を相互に対照し、かつ、職務上の経験により保有しているべき大正区長印についての知識に照らして本件各仮登記申請を審査することによつて、本件委任状及び本件印鑑証明書がいずれも偽造されたものであることを発見することが容易であるとは認められないから、江戸堀出張所登記官が右偽造を看過して右登記申請を受理し本件各仮登記の記入を完了したことをもつて、登記官に審査義務違反の過失があるということはできない。

3  原告は、岡本や弓削警察官が本件各仮登記申請が偽造文書によるものであり、犯罪の嫌疑がある旨申入れていたのであるから、江戸堀出張所登記官としては、単に形式的に審査するにとどまらず、他の登記申請書に添付された大正区長作成かかる真正な印鑑登録証明書と対照し、あるいは同区長に本件印鑑証明書の発行の有無を照会するなど、更に進んで調査すべきであつた旨主張し、前記認定のとおり、本件各登記記入が完了する前に江戸堀出張所を訪ずれた岡本や電話をした弓削警察官が江戸堀出張所登記官に対し、原告が本件各仮登記申請をしていないことを申入れていることが認められる。

しかしながら、登記官としては、右のとおり添付書類の真否を書類上形式的に審査すれば足りるのであり、右のような申出を受けたからといつて、そしてそれが警察官からの申出であるとしても(しかも、前記認定のとおり当時梅田登記官にとつて、電話の相手が警察官であるか否か確認する術もなかつた)、基本的にはその取扱を異にするものではなく、より慎重な注意を払つて右方法で審査しても、前記認定のとおり精緻巧妙に偽造された本件委任状、印鑑証明書の偽造を発見することができたとは認められない。まして、原告主張のように、右の申出によつて、登記官において右添付書類の実体的真否について積極的な心証を得るべく他に資料を求め職権で調査するべき義務が発生すると解することはできない。

なお、原告は、刑事訴訟法二三九条二項に規定する公務員の犯罪告発義務を根拠にして登記官に原告主張のような実体的審査義務があつた旨主張しているが、登記官としては、登記申請の審査にあたりあくまで書類上形式的に審査する義務しかなく、仮にその審査を通じて偽造書類を発見し、それが犯罪にあたると判断できるときに告発義務を尽せば足り、これとは反対に、右規定をもつて原告の主張の根拠とすることはできないことは明らかである。

三  結論

よつて、原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 福永政彦 小野剛 平井慶一)

別紙物件目録 <略>

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